ルーツと言っても最近の若い方にはピンとこないかもしれない。1970年代に米国のドラマ「ルーツ」が日本で放映されてかなり話題になった。このドラマは主人公が自分の家系を辿っていくという内容であり、ルーツというのは自分の祖先や起源を意味する。
10年ほど前に父親が亡くなり、その際に叔母が古い戸籍を入手してコピーをくれたことがあった。そこには文化7年(1810年)に産まれた父方の祖先以降の記載があり、恐らく父親も知らなかってであろう祖先について知ることができた。更にその文化7年産まれの祖先の父親の名前も記載されていたため、自分から数えて6代前までの祖先の名前と生年月日に関する情報を入手することができた。
これによると、6代前から父親までの名前と生年は、藤右衛門(生年不明)、伝蔵(1810)、千太郎(1848)、寅吉(1867)、慶次郎(1896)、正治(1927)となる。ここで気になったのは、6代前の藤右衛門という名前である。父親から聞いたところによると、千太郎の段階で農家であったのは間違いない。しかし藤右衛門という名前は何となく武家を想像させる名前であるし、そもそもこの時代(18世紀)に名字がある事自体武家ではないかという気になってくる。6代前から父親まで佐賀県に在住していた筈なので、佐賀藩(鍋島藩)の18〜19世紀について調べてみた。なお、江戸時代までの農民が名字を持っていなかったというのは実は間違いで、名字は持っていたものの公に名乗ることはできなかった、との記載が下のサイトにある。今回の場合には、戸籍に記載されているため公になっているとの判断となる。

その結果、当時の佐賀藩はちょっと特殊な政治経済体制を取っていたことがわかった。当時の日本は鎖国をしていたが、佐賀藩は国内でも鎖国をしていて、その領民は藩の外に出ることが許されなかった。また、当時の日本は兵農分離で武士と農民が日常交わることはないようになっていたが、佐賀藩は武士の数が多かったせいもあってか、兵農が分離しておらず、武士も普通に農村に住み、通常は農業をやりつつ何かあると馳せ参じる、というような生活を過ごしていたということである。5人組も農民と武士が混在して組んでいたということなので、境目が曖昧だったのだろう。下のサイトにこの辺りについての詳細が記述されている。
また、19世紀前半の佐賀藩について調べると、1828年にシーボルト台風という巨大台風が来て佐賀藩は1万人以上の死亡者を出すという大被害を受けて、これらの原因により財政逼迫して、その後役人を1/5にする大リストラを実行した、との情報もあった。これらの情報から判断すると、藤右衛門は下級武士でもともと農民と境のない生活をしていたか、もしくは役人であったもののリストラにあって農民になったのではないか、と推定される。いずれにせよ、自分のルーツを18世紀まで辿ることができて、その当時の生活まで想像できることは楽しいことであった。
#佐賀藩 #ルーツ

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